アイディ創業ものがたり
アイディ乾燥剤の誕生は、工業が飛躍的に発展した昭和のはじめに遡ります。
生産者のお困りごとを解決するために開発したアイディ乾燥剤の誕生から
ずっと変わらず”世の中のお役に立つ”ことを目指して乾燥剤を作り続けています。
これまでのアイディのあゆみをお知りいただくことで
弊社を身近に感じていただければ幸甚です。
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※製品の画像は、製造終了した過去の製品も含みます。ご了承ください。
昭和初期
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伊藤冝良が養蚕業務用の乾燥剤を開発・特許取得


伊藤冝良の像(富山県)
アイディ乾燥剤の発想は、大正から昭和始めにかけての日本の主要輸出品の一つであった 絹糸(けんし)に関係しています。
絹糸は蚕が糸を吐いてつくった繭から作られます。繭をつくる部屋を 上蔟(じょうぞく)室といい、そこが暑く湿度の高い状態だと、蚕の呼吸が荒くなり、糸を覆っているグリシンという蛋白(たんぱく)が串に刺した 団子のようになってしまうため一定の太さの糸が得られません。その糸をより合わせて、女性のストッキングを作ると、光の乱反射で脚線美が歪んで見えるため、一級品の絹糸とはなりません。
生産者からの蚕の 上蔟室の湿度を下げたいという要望は、絹糸の品質に直結する重要な課題でした。
そこで、富山県高岡市の工場試験場の初代場長をしていた伊藤冝良(のぶよし)により、アイディ乾燥剤のルーツとなる新しい乾燥剤が発明されました。
昭和5年
(1930年)
伊藤良次が大方工業理化研究所を立ち上げる
昭和14年
(1939年)
医薬カプセル用乾燥剤を開発
日本低温乾燥工業株式会社を設立



初代社長となる伊藤良次(りょうじ)が立ち上げた大方工業理化研究所から株式会社化し、日本低温乾燥工業株式会社を設立しました。当時は、本所吾妻橋 (現在の墨田区) に乾燥剤販売の店舗と、社長家族・住み込み従業員の住居がありました。
間口3間、 奥行き4間位の二階建で、隅田公園から枕橋を渡り、吾妻橋の電車通りへ出る途中の左側。5軒か6軒の棟割り長屋で借家です。
道路に面して4~6枚の、木の格子のガラス戸があり、表小屋根に道路に向けて、「アイデアル・ドライヤー」の横看板がありました。その看板を見て、ドライクリーニングと間違えて洗濯物を持って来る人がいたそうです。
アイディという名称は、もとは乾燥剤の商品名でした。理想的乾燥剤という意味を込め、アイデアル・ドライヤー、またはアイデアル・デシカントの頭文字のIとDをとり、”アイディ”となりました。
昭和16年12月
(1941年)
大東亜戦争勃発 軍需乾燥野菜、乾燥食品、乾燥剤製造を行う


昭和16年に大東亜戦争となり、戦争が激しくなるにつれ、 食品の乾燥事業を行うようになりました。
アイディの誕生は吾妻橋2丁目の長屋の土間でしたが、 そのうち、 枕橋の下を流れる源森川 の川淵に小さな工場を借り、住み込みの従業員も増えました。
東京は 日本橋馬喰町に本店、向島吾嬬町に工場、大阪は北久太郎町に支店がありました。
乾燥剤は工業や食品のお取引先向けのものでしたが、東京の店に、一般の方が乾燥剤を買いに来られることがありました。戦争初期は、未だいくらか物が手に入る時があり、人々は必要以上に買いだめするので、長期保存の為、乾燥剤を買いに来られたのでした。
昭和19年
(1944年)
戦況が激しくなり事実上の解散

当時、東京の日本橋馬喰町に本店、 大阪の北久太郎町に支店、東京・ 向島区の吾嬬町に工場がありましたが、激化する戦争により全て灰塵に帰し、会社は事実上の解散をよぎなくされました。
東向島の住居だけが残り、 戦後再出発となりました。
昭和20年
(1945年)
終戦後、固形状乾燥剤1号~6号を開発(上野アメ横にて販売開始)
医薬品原料の受託乾燥事業を行う

終戦から数か月後、東京には人があふれ、復員して来た軍服姿、リュックを背負った人、闇市にも食料を始めとして、生活物資が出回り始めました。しかし、価格は、インフレでウナギのぼり、戦後は一般の人々は、竹の子生活で食料を確保するような状態でした。
この様な時代にとても乾燥剤に復帰する訳にゆかず、当時の社長は戦時中の経験から、 食料に関した仕事でなければいけない、と考えて小規模な製塩 (これもアイディ乾燥剤の開発者・宜良の特許の申請の案件)をしたり、食料品の配給としてきたアメリカのトウモロコシの粉末を使ってアミノ酸醤油を作ったり、肉屋からラードやヘッド等の脂から石鹸を作ったりしました。
段々と世の中が落ちついてきて、昭和24~25年になると、上野ではアメ屋横町が繁盛し、甘いものに飢えていた人達で大人気でした。
そこで乾燥剤を作り、お店で売ってもらいました。当時の乾燥剤はベントナイト(鉱物)に燃焼後の練炭を振るった粉を混ぜ、それに塩化カルシウムを加え、平らに伸ばし、丸い型で抜いて、練炭の火力で乾燥し、それを紙袋に入れたものでした。
不思議なことに毎日石油缶で2缶ずつ位売れました。一体どういう売り方をしているのだろうかと、見に行ったところ、大きな台の上にバラ積みして売っておりました。そこでビックリして、そんなことをしたら空気中の水分を吸って乾燥剤の効力が無くなってしまいます、と説明した様な時代でした。
昭和32年11月
(1957年)
日本低温乾燥工業株式会社を墨田区東向島で再開・設立



終戦後は、大方工業理化研究所の名称で乾燥剤の製造をしておりましたが、昭和 32年の11月15日、当時の社長・良次の誕生日を以って、戦前の社名を引き継ぎ、日本低温乾燥工業株式会社を設立しました。
食品用乾燥剤の販売や医薬品原料の乾燥事業を経て、社会にも乾燥剤が段々に認知されるようになりました。
ポリ袋の様な合成樹脂の素材が出来て包装が進み、売場もデパートやスーパーの様な空調の建物の中で売られる様になると、食品はじめ様々な商品の包装用にご採用いただけるようになりました。
昭和34年
(1959年)
テレビ・ラジオなど家電製品むけ乾燥剤を開発
コンパクトで強力な顆粒状乾燥剤を米菓用に開発(現在は製造終了)


(現在は製造終了しています)
乾燥剤の有用性が認められ、食品業界以外にも徐々に乾燥剤が採用されるようになりました。アイディの乾燥剤は当時最新のカラーテレビやトランジスターラジオ等にも採用され、多数の電機メーカー様の家電製品にご使用いただきました。
食品用途では、顆粒状の強力な乾燥剤をコンパクトな袋入りにして、せんべいやあられなど米菓用として製造していました。(※現在は製造終了しています)
昭和35年4月
(1960年)
埼玉県越谷市に越谷工場を設立




ご縁があり、社員の人々が山口県や山形県から大勢の人達が入社しました。当時はみんな向島の社長宅への住み込みでした。
段々と手狭になってきたところ、向島の住居の裏を走っていた東武電車が高架になると言うことで、その工事の為、東武鉄道から借ていた土地を返却しなければならなくなりました。
そこで早速、土地探しになりました。
いろいろの方のご紹介で八潮、草加等を見て歩きましたが、ものはあっても手の届く価格ではなく、土地探しは難航していました。
その頃実家が越谷の社員の親父さんが競売になっている農家があるという情報をよせてくれました。
625坪の土地と藁葺きの農家、物置 小屋、鳥小屋等のある篤農家でしたが、子孫が土地に居らずバラバラとなり、競売となったのでした。
社長が現地を見に行った日が締切りの日でした。
落札の競争相手も無く、最低価格だったのはよかったのですが、時間がぎりぎりで、どうすることもできないでいたところ、裁判官の人が、手付け金を立て替えてくれて落札出来た様な次第です。
勿論、翌日直ぐにお金を持っていきましたが、よくも見ず知 らずの人に、手付け金を用立ててくだされたものだと、当時の社長が言っていました。
藁葺きの農家の敷地内に4間×10問、40坪の木造の工場を建てました。それが昭和35年4月のことです。
天井のないコンクリートを打っただけの建物ですが、今までの処と比べてあまりにも広く全部使って仕事が出来るかしら、と思いましたが、すぐに手狭となり、増築することとなりました。
昭和53年4月
(1978年)
シート状乾燥剤を開発(現在のアイディシートとなる)


(※現在のラインナップとは異なります)
シート状乾燥剤の開発のきっかけは意外なものでした。
ある日突然に、少しばかりお取引のあった得意先様がやってきて、こういう商品はできないか、と話を持ってきてくれました。
「これからの時代は”薄くてスマート”なものにしないと!」とおっしゃるのです。
それにはこうしてみたらどうか、と加工方法のアドバイスまでしてくれました。
なかなか言われたようにはいきませんでしたが、いろいろな人の知恵と協力をいただいて、失敗を積み重ね、開発を行いました。
乾燥剤専門でやってきた知識・経験と新しいアイデアの合体から、「新しい時代の薄くてスマートなシート状乾燥剤」が誕生しました。
製品情報:シート状乾燥剤 アイディシート
昭和58年4月
(1983年)
ボトル用にパッキング兼乾燥剤を開発(現在のアイディPKとなる)


(※現在のラインナップとは異なります)
健康志向が高まり、健康食品や栄養剤などが人気になると、ビンやボトルの湿気対策の依頼を多くいただくようになりました。
中でも、ゼラチンでできたソフトカプセルは空気中の水分を吸着し、カプセル同士がくっついてしまい、お困りとのご相談がありました。
アイディ乾燥剤の強力な吸湿能力を存分に発揮するには、フタと容器の隙間をしっかりと閉めておかなければなりません。
そこで、空気を遮断するためにフタに付けて使うパッキンと、アイディ乾燥剤を一体化させたパッキン一体型タイプを開発しました。
乾燥剤とパッキンを別々に仕入れる手間もなく、フタに嵌めるのも簡単、しかも乾燥剤が出てこない、ということで、たいへん便利と喜んでいただきました。
その後は健康食品やサプリメント、美容品のほか、医療用の製剤や原料の品質管理などご採用いただくようになりました。
製品情報:パッキング兼乾燥剤 アイディPK
平成2年1月
(1990年)
社名を商品名に統一変更し株式会社アイディとする


会社を代表する製品であるシート状乾燥剤「アイディシート」。前社名のときから、アイディシートをご愛顧いただいているお取引先様に「アイディさん」と愛称で呼ばれることがありました。
”理想的乾燥剤”という意味が込められた「アイディ乾燥剤」は、誕生した昭和の初めから50年余り、たくさんの方にご利用いただいてきました。
そこで、アイディ乾燥剤でこれからも世の中のお役に立ちたいという願いを込め、皆様に親しんでいただいている商品名から社名をとり、現在の『株式会社アイディ』という社名になりました。
伸ばし棒つきの「アイディー」や、濁点の無い「アイティ」と読まれることもありますが、ぜひ、『アイディ』と覚えてくださいね。
平成5年4月
(1993年)
本社を千代田区神田佐久間町へ移転
平成7年7月
(1995年)
PL法施行 安全性の再評価を受け医薬、検査薬分野で普及


(※画像は採用当時のものであり、現在の商品名・デザイン・ラインナップと異なる場合があります)
PL法の施行など製品の品質への意識が高まる中、アイディシートの安全性や利便性が認められ、工業品や医薬品へのご採用が続々と増えました。
医療・医薬の分野では、日本初のインフルエンザ感染症の検査薬の品質保持のため、数年がかりの試験の末、アイディのシート状乾燥剤が採用されました。
その後、感染症をはじめ多種多様な検査薬にご採用いただき、病院専用だけでなく一般の方向けの市販の検査キットにもご採用が広まりました。
安心・安全な乾燥剤を製造するため、また乾燥剤を必要としてくださるお客様へ安定供給を維持するために、アイディの製造現場より高いレベルへ現在も進化を続けています。
平成18年4月
(2007年)
本社を千代田区神田和泉町へ移転
平成18年11月
(2007年)
創立50周年を記念し行事を開催


昭和32年の会社再開・株式会社化より、お陰様で50年を迎えることができました。お取引先様をはじめ御来賓の方をお招きし、行事を開催いたしました。
渡部昇一先生を講師にお迎えした講演会・御来賓の皆様との食事会を行い、日ごろ皆様のお力があって良い製品づくりが出来ていることを改めて感じる、和気あいあいとした会になりました。
会社情報:社内行事-Event-
平成29年
(2017年)
越谷工場に隣接した旧・新方交流館を譲受・改修
事務棟として利用開始
令和2年
(2020年)
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な大流行を受け複数の検査キットに採用

アイディ乾燥剤の目指すもの
アイディ乾燥剤は、需要家の皆様や消費者の皆様のご意見ご要望に基づき、高性能で使いやすく、ユニークな乾燥剤を開発・提供させて頂いてきました。今後も、 既成概念に とらわれない、 新たな発想で、より皆様のお役にたてる製品を、お届けできるように、頑張ってゆきたいと思います。
「アイディがあったから、この商品は、成立した。今までとは、違った、新しいものが出来たよ。」との、お言葉を、お客様から頂くことがあります。アイディの、最も喜びと する瞬間です。アイディ乾燥剤を使用することによって、お客様の商品の品質を守ることはもちろん、新たな品質を、創造することを目指してゆきたいと思います。そして、消費 者の皆様にも喜んでいただき、微力ながら社会の繁栄・発展に寄与してゆきたいと願っています。
「アイディを使ってよかった」と言って頂けることが、アイディの喜びであり、励みです。
また、高品質で、より安全で、環境への配慮もなされた製品を、世に送り出すことがメーカーとしての責任と自覚し、調査・研究・開発に努めます。今後とも、ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
(『アイディ乾燥剤取扱説明書』より)

